5回目となる今回は、気仙沼から大船渡にかけて、電子ピアノ1台とアップライトピアノ3台をお届けして参りました。
スケジュールの都合で今回も日帰りです。
夜中に東京を出発したトラックの荷台は、お届けする順番に積まれた4台のピアノでいっぱいです。
まず一件目にお伺いしたのは、ピアノ運搬チームの紹介で、気仙沼の高台にある仮設住宅。
集まった近所の方々に手伝って頂いたおかげで、賑やかな雰囲気の中、手際良く設置することができました。
近くでピアノ教室をされている先生も、西村の楽譜を持っていらっしゃいました。
なんでもこの先生、西村が創刊からずっと連載を続けている「月刊ピアノ」を、第一号から全部集めているとのこと。
でも、1冊だけ持っていないそうです。
それは、どうしても手に入らなかった2011年の4月号。
西村は、先生のリクエストで、オリジナル曲「琥珀色の風景」を演奏しました。
「今度気仙沼を訪れる時は、2011年4月号をお届けしよう。」
そう思いながら仮設住宅を出発、気仙沼を後にしました。
本日2件目は、中学一年生と小学4年生の女の子がいるお宅。
ここからの3件は、いずれも「大船渡でピアノ教室をされている先生」に紹介して頂いた生徒さん。
今回お届けした日が、学校がお休みの日曜日ということもあって、どのお宅もお子さまも一緒にピアノの到着を待っていました。
子供部屋のある2階にクレーンを使って搬入し、最後に調律師さんが用意してくれたレースのピアノカバーを被せて設置完了。
西村が「微笑みの鐘」を演奏すると、二人とも目を輝かせながら聞いていました。
震災で家もピアノも流されたそうですが、今春行われた小学校の卒業式や、その後入学した中学校の文化祭で、ピアノ伴奏を立派に務めたとのこと。
お母さまから頂いたメールには「つらいのを必死で耐え、常に明るく振るまっている息子に、どうかもう一度ピアノを。」とのメッセージ。
我々が到着すると、ジャージ姿の元気な男の子が笑顔で迎えてくれました。
そして、西村の演奏後、お礼に一曲一生懸命弾いてくれました。
再び家でピアノが弾ける喜び、こちらにも伝わってきました。
震災で1階が全部水に浸かったそうですが、漁師であるお父さまが全て自分の手で修復されたそうです。
お母さまも、漁師の妻らしく気丈に振る舞われていたのですが、西村が「ビタミン」を演奏すると、涙が溢れ出ていらっしゃいました。
「まいったな、ビタミンが不足していたから身にしみるね。」
照れくさそうな笑顔が印象的でした。
こうして無事4件ともお届けし終わったとき、去年末に伺ったピアノ教室の先生が、西村が大船渡に来ている事を聞きつけ、会いに来て下さいました。
東北で広がるピアノの輪。
肌で感じながら、一路東京に戻りました。