Yukie Nishimura Official Website

ピアノとピアノの音を被災地に。「Smile Piano 500」

活動の報告

2012.08.13

ピアノを届けに 〜亘理町〜松島町〜多賀城市〜

今回お届けしたのは8月13日。
お盆という特別な日でしたが、「家族みんなが揃っているので、かえっていいですよ。」との声を多く頂き、この日に設定しました。
予報では東北地方は昼から天気が崩れるとのこと、湿気が大敵なピアノを思うと、自然と急ぎ足になります。

 

まず1件目は、宮城県亘理町にお住まいの高校一年生の女の子。
海から2キロほどのお家は、1階が全て浸水しピアノも流されたそうです。
この5月にようやく修復が終わったということで伺うと、おじいさんと明るく元気な娘さんが出迎えてくれました。
おじいさんは、もともとイチゴを栽培されていたのですが、海水に土壌をおかされてしまった今では、塩害にも強いということでトマトを育てています。
「なくなったピアノを探して半径2キロほど探し廻ったけど見つからなかった。恐らく引き潮で海に流されたのだろう。」
と当時の事を振りながらも
「ピアノが家の中を動けば、柱や壁がこわれていそうなものだけど、壊れていなくて。どうやらちゃんと玄関から出て行ったらしい、、、」
と、笑いながら話してくれました。
しかし、搬入が終わり、久しぶりに家の中にあるピアノを目にすると、自然と涙が溢れ出ていました。
「こんなに早くまたピアノと巡り会えるなんて…。」
そう言いながら、感触を確かめるようにピアノの鍵盤にふれ、YUIさんの「グロリア」を演奏してくれました。

拍手喝采の我々に、今度はおじいさんがカゴいっぱいのトマトを持って来てくれました。
そのトマトのおいしさとたくましさに感動しながら次の目的地に向かいました。

 

2件目は、「スマイルピアノ500」に連絡を下さっていた方からの紹介。
このように、お届け先の多くは口コミなのです。
ピアノを求めている方は、まだまだ自分でネットを見てエントリーする、といった状況ではないようです。
向かうは、日本三景の一つとして有名な「松島」の高台に、新たに家を建てて生活をされているお宅。
もともとは明治時代から代々、女川沿いの海から300mの所に住んでいたが、被災し家もピアノも流されたのだそうです。
東京から駆けつけた息子さん家族や親戚、そしてこの方を紹介して下さった方に見守られながら、ウッドデッキからピアノを搬入。
設置後は、手作りの仙台名物のずんだ餅を頂きながらお話などを伺いました。
そして、西村から皆さんに元気になってもらえるようにと「ビタミン」を演奏。
その後も、道に迷ってしまい演奏に間に合わなかった近所のお友達なども参加し、ピアノの廻りは大にぎわい。
お別れの時には、皆さん外に出て、手を振って見送ってくれました。 その頭上をふと見上げると、予報に反して、素晴らしく奇麗な青空が広がっていました。


 

最後3件目は、宮城県の中でも被害の大きかった街のひとつ、多賀城市。
「スマイルピアノ500」でこの街を訪れるのは今回で2回目です。
元々同じ多賀城市の海に近い八幡で被災、家もピアノも流されたこの方は、ラジオ番組がきっかけで連絡をくださいました。
東北で放送されている岡本真夜さんの番組に西村が出演したのを聞いて「ピアノを譲ってもらえるのなら、ぜひお願いします」とメールをくださったのです。
海から少し離れた所に構えた新居を伺うと、3歳の娘さんと6歳の息子さんを始め、近所の方々も大勢お集まりでした。
そして、ピアノを置くスペースにはなんと、子供たちからのメッセージやピアノの形をした折り紙などの飾り付けがしてありました。
素敵な演出の中で、西村は心を込めてピアノを演奏しました。
その3分間は、いつもそこにいる人全員が、笑顔と涙に包まれる特別な時間です。
演奏が終わると、6歳の息子さんがお礼になんと、抹茶をたててくれました。
「結構な御点前で!」
おいしく頂いた後は西村がジブリメドレーを演奏、今度はみんなが笑顔いっぱいになりました。

 

東京に戻る道中、1件目と3件目のお宅から「子供がピアノから離れません。」との嬉しいメッセージ。

 

今回も、ピアノを譲って下さった方、募金して下さった方、そのほか運搬、調律して下さった方など、多くの方のおかげで、3台のピアノをお届けすることができました。 ご協力、心から感謝申し上げます。