10月8日、仕事で訪れていた大阪から空路、宮城県の仙台市へ向かいました。
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今回は、お譲りいただくアップライトピアノを、そのまま同じ日にお届けに向かうという、初の試みです。
西村はいつもながら、被災地の皆さんとの新しい出会いを想像して、心地よい緊張感を味わっていました。
一方で、何か月もかけてピアノの搬入方法や皆さんとの日程調整をしてきたスタッフは、なにもトラブルが発生せずに万事予定通りに運ぶかどうか、天気がもってくれるかどうか、あれこれ気をもんでしまいます。
それぞれが心の準備をしているうちに、飛行機はあっという間に仙台に到着。
前日まで雨が降っていた仙台の空は青く、とりあえずほっとしました。
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レンタカーを走らせて市内に入ると、ピアノを譲ってくださるヒロコさんをお訪ねしました。
普段は東京にお住まいなのですが、ご実家にある大切なピアノをスマイルピアノとして旅立たせるために、連休を利用して仙台に来てくださいました。
「母に買ってもらったのが40年くらい前で、ここ何年も調律をしていないんです」とおっしゃるのですが、ピアノはとても良い状態で、大切にされていたことがわかります。
ヒロコさんが18歳のときに、2階建てのこの家に引っ越してきて、当初は1階にピアノを置いていたのですが、ピアノのためを考えると2階の環境のほうが良いと助言され、クレーンを使って移動させたのだそうです。
ヒロコさんは小学1年生のときにピアノを習い始め、中学時代は行内の合唱コンクールでいつも伴奏を担当していたそうです。
3年生のときには、NHKの合唱コンクールでも伴奏を務めたと聞いて、「きっとかなりの腕前だったはず」と西村は思いました。
ヒロコさんは、次第にバスケットボールに打ち込むようになって、ピアノから遠ざかってしまったそうです。
洋裁学校を卒業し、東京で就職して以来、ずっとファッション業界の第一線で活躍なさっています。
長く使っていないピアノをどこかで役立たせることはできないかと、ヒロコさんだけでなく、お母さまもずっと気にかけていらしたそうです。
できれば被災地のかたにお譲りしたいと思ってインターネットで検索しているうちに、スマイルピアノを探し当ててくださったのです。
ピアノが石巻で津波の被害に遭われたお宅に行くことが決まって、お母さまも安心し、とても喜んでいらっしゃるそうです。
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サラ・ブライトマンが好きで、コンサートにも行ったことがあると伺い、西村は彼女の代表曲である「Time to say Goodbye」を演奏しました。
ピアノにまつわる懐かしい思い出が、走馬灯のように心の中を駆けめぐったのではないでしょうか。
ピアノのそばに座っていたヒロコさんの頬を、大粒の涙がつたっていました。
「弾いてくださるかたが見つかって、とても嬉しいです。このピアノを、思い切り楽しんでくださいね」
というメッセージとともにヒロコさんからお譲りいただいたピアノを、石巻市で待つアイリちゃんのお宅へ運びました。
47台目のスマイルピアノです。
4歳からピアノを始め、音楽が大好きなアイリちゃんは、中学3年生。
吹奏楽部でトロンボーンを担当しています。
合唱コンクールのピアノ伴奏者にも指名されて、学校のピアノを借りながら練習に励んでいます。
ピアノをお届けに伺った前日も吹奏楽部の定期演奏会で、J-POPの曲などを演奏したそうです。
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アイリちゃんは、お父さんとお母さんがお仕事から帰ってくるまで、いつもおじいちゃんとおばあちゃんのお宅で過ごしていました。
東日本大震災が発生した日も、ピアノのあるこの家にいました。
津波の水が流れ込み、水位がみるみるうちに上がってきて、慌てて2階に避難しました。
水はいったん引いても、また何度も入り込んできました。
夜になって水位が上がると、停電で暗闇に包まれた中、とても恐ろしい思いをしたそうです。
外はサイレンがけたたましく鳴り響いていました。
ピアノは、水に浸かって壊れてしまいました。
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アイリちゃんとご家族は、避難所へは行かず、この家で保存食を食べながら生活しました。
近所の学校へ避難した人の中には、校舎が水に浸かってしまったので、歩道橋やボートの上で避難生活を送った人もいたそうです。
アイリちゃんとご家族は、避難所で久しぶりにお風呂に入ったとき、とても嬉しかったそうです。
それまで自分の体が冷えているという感覚すら、感じる余裕もなかったけれど、湯船につかったとたん「熱い」と感じ、それまでの寒さをようやく実感したのでした。
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かつてのおじいちゃんとおばあちゃんの家をリフォームし、今はアイリちゃんとご家族が住んでいます。
「ピアノをあきらめようかと思うこともありましたが、大好きなピアノから離れることはできませんでした」
アイリちゃんは、スマイルピアノ事務局に宛てたメールにそう書いてくれました。
待ちに待ったピアノが搬入され、早速弟さんと連弾を開始。
改めてスマイルピアノの「弾き初め」をお願いすると、AIさんの「STORY」を披露してくれました。
合唱コンクールでこの曲を伴奏するのだそうです。
途中から西村がメロディを担当し、ふたりで連弾しました。即興のコラボレーションです。
そのあと、西村が心をこめて「ビタミン」を演奏しました。
「私も西村さんのように感情をピアノで表せるように、頑張りたいです」
アイリちゃんにそう言ってもらえて、西村は感激しました。
スマイルピアノをたくさん弾いて、ますます腕を上げてくださいね。
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翌日の9日、岩手県陸前高田市の「キャピタルホテル1000」でミニコンサートを行ないました。
これは、気仙沼信用金庫と三菱商事による「陸前高田応援プロジェクト実行委員会」が主催するイベントでした。
三菱商事復興支援財団が同ホテルのサポートを続けていることから、当日もたくさんのボランティアの皆さんが東京から駆けつけてくださいました。
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ご縁に恵まれてこのホテルでミニコンサートをすることが決まった当初は、ロビーで演奏する予定でしたが、とてもありがたいことに「私も聞きたいです」というお声をたくさんいただき、宴会場をお借りすることになりました。
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ピアノは、2011年12月にお届けした鈴木先生のスマイルピアノをお借りすることになりました。
このピアノは、不治の病と闘っていた奥様から「被災地のかたに譲ってほしい」という思いを託された男性から譲り受けたものでした。
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地元にお住まいの方々やホテルの従業員の皆さんのほかに、これまでスマイルピアノをお届けしたご家族、これからお届けするご家族をお招きし、お客さまは総勢150人くらいになりました。
西村は「ちいさい秋みつけた」などの秋らしい曲やショパンの名曲を、それぞれメドレーで演奏しました。
2年前にスマイルピアノをお届けしたかたの中に、気仙沼信用金庫にお勤めのかたがいらっしゃったことは、嬉しい偶然でした。
お嬢さんを学校まで送る車の中で西村のラジオ番組「SMILE WIND」を聴いてスマイルピアノのことを知り、応募してくださったことを覚えています。
あゆみさんとの再会も、嬉しかったです。
西村がこの活動を思い立ったのは、テレビの報道番組がきっかけでした。
仮設住宅で暮らすあゆみさん(当時中学生)が、「今いちばん取り戻したいものはなに?」と記者に聞かれて、「ピアノ」と答えていたのです。
2014年9月、仮設住宅に電子ピアノをお届けしたとき、あゆみさんは保育士になるという夢に向かって勉強中でした。
今やすっかり大人の女性に成長し、保育士として活躍する彼女に会うことができて、西村は大感激でした。
コンサートの中盤で、11月に48台目のスマイルピアノをお届けする予定のかたから届いたお手紙を朗読させていただきました。
震災で大切なご家族を3人も亡くされた心の傷を、西村は想像することすらできません。
大きな悲しみを乗り越えて前向きに生きているそのかたにとって、ピアノのある暮らしを取り戻すことがさらなるエネルギーになるのだとしたら、こんなに嬉しいことはありません。
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お届けに行くたびに感じることなのですが、西村は被災地で出会った皆さんから元気と刺激をたくさんいただいて、幸せな気持ちに満たされて帰途につきます。
そして、多くの皆さんのご支援のおかげでこの活動が成り立っていることを、改めて実感します。
次のお届けに向けて、西村もスタッフも、ピアノだけでなく皆さんの思いもしっかりとお届けできるように、万全のコンディションで臨みます。