Yukie Nishimura Official Website

ピアノとピアノの音を被災地に。「Smile Piano 500」

活動の報告

2015.09.19

ピアノを届けに 〜気仙沼〜陸前高田〜

9月19日、3台のスマイルピアノをお届けしました。

2台は宮城県気仙沼市、もう1台は岩手県陸前高田市です。

この週は秋の嵐が日本列島に長く居座り、東北地方も前日まで大荒れの雨模様でしたが、幸いにもこの日は朝から好天に恵まれました。
ところがほっとしたのも束の間、東京駅に着くと宮城方面へ向かうホームは大勢の女性客でごった返していました。「嵐」のコンサートへ向かうファンのみなさんが、まさに大移動を開始していたのです。そういえば、仙台市内にホテルを予約するのも一苦労でした。
なるほど、「嵐」旋風が接近していたのですね。


この日最初にお届けした先は、気仙沼市のお宅です。
元音楽教師のご主人は神社の禰宜をなさっていますが、地元のコーラス隊やアンサンブルの指導にあたるなど、現在も精力的に音楽活動を続けていらっしゃいます。
残念ながら今回はお目にかかることができませんでしたが、幼稚園の先生をしているお嬢さんも子どもの頃からピアノが大好きで、かなりの腕前のようです。
スマイルピアノの到着を、きっとお父さんと同じくらい楽しみに待っていてくださったと思います。

震災前、ご一家は、海から10メートルほどの場所に約60年前に建てられた家に住んでいました。
その家は津波で流されてしまい、ピアノも含めすべてを失いました。
それでも、神社の社務所に避難しているあいだ、野菜やお米を分けてくれる近所の農家のみなさんの温かい心遣いに救われ、「自分たちはとても恵まれていると思いました」と奥さまが話してくれました。
高台に移った新しいご自宅にピアノを運び入れる作業が始まると、ご主人はとても緊張した面持ちで、楽譜を抱えて見守っていました。
ピアノが落ち着くと、西村が「ひだまり」を演奏しました。
この曲は、お仕事でお留守だったお嬢さんからのリクエストでした。
「私がいつも弾いている『ひだまり』を西村さんに弾いてもらってほしい。私が聞けないぶんお父さんとお母さんがしっかり聞いてね」とお嬢さんがおっしゃったそうです。
嬉しいお話を聞いて感激した西村は、お嬢さんのことを想像しながら「ひだまり」を演奏しました。

西村の演奏が終わるとご主人は、抱えていた楽譜を開きながら「私も弾かせてもらっていいですか」と。
「もちろん是非お願いします」と西村。
そして、ご主人の弾き語りによる「花は咲く」、西村の伴奏でご主人が歌う「椰子の実」。とても美しくてのびやかな、素晴らしい歌声を披露してくださいました。
「私はいま65歳ですが、あきらめずに上達するように使っていきたいです。
ピアノが遊んでいる時間がないように、活用させて頂きます」と、ご主人からピアノを譲ってくださったかたへメッセージをお預かりしました。


次にお届けしたのは、同じ気仙沼市内に住むお宅です。
震災前に奥さまとお子さんたちが大切に使っていたピアノは津波の被害に遭っただけでなく、その2日後にこの地区で発生した大きな火災で焼けてしまいました。
すべてを失ったご一家は、約2ヵ月のあいだ中学校の理科室で避難生活を送りました。
その後は空き家を借りて過ごし、ようやく自宅を新築することができたそうです。
いつかまたリビングにピアノを置きたいと願っていましたが、ご自宅の建築費用やお子さんたちの学費など大きな出費が重なり、どうしてもピアノには手が届かないとあきらめていたところ、車の中で西村のラジオ番組を聞き、スマイルピアノのことを知ったそうです。
次女が今年の3月に高校を卒業するまで、奥さまは毎朝学校まで車で送っていましたが、車を運転するのもラジオをつけるのもこの時間だけという中で、西村の「SMILE WIND」を聞いてくださっていたのです。嬉しいですね。
最初のうちは「ピアノが欲しいお宅はいっぱいあるだろうから、ウチは無理だろうな」と思っていたけれど、西村が毎回スマイルピアノについて話すのを聞くうちに、申し込んでみようという気持ちになったそうです。
ピアノが運び込まれると、西村が「微笑みの鐘」を演奏しました。
スマイルピアノで弾く曲は、毎回お届け先のみなさんと少しお話してから、そのご家庭に合う曲をその場で選んでいます。
菅原さんのお宅では、この曲をぜひ弾かせて頂きたいと思いました。

ピアノの搬入中にリビングでお話しているあいだも、奥さまはふとした瞬間にピアノに目を向けられます。
それだけ楽しみにしてくださっていたことが伝わってきました。
このピアノは、今年の4月に宮城県へスマイルピアノをお届けに行った際、譲ってくださるかたがたからお預かりしたうちの1台です。
お母さんの嫁入り道具だったピアノをお嬢さんも使っていたのですが、おふたりとも弾かなくなってしまったので、ピアノを必要としている被災地のかたに活用してほしいというお申し出を、西村のラジオを毎週聞いてくださっていたお嬢さんから頂きました。
「久しぶりにピアノの音色を聞いて感激しました。子どもたちと大切に使わせて頂きます」と、奥さまから提供者のおふたりに宛てたメッセージをお預かりしました。
「子どもたちが都会へ行って離れてしまい、妻はさびしい思いをしていたのですが、今日は嬉しそうな顔をしています。
ピアノを弾いて元気になってほしいです」という優しいご主人の言葉、とても素敵でした。


最後に伺ったのは、陸前高田市のお宅です。
「スマイルピアノ500」のプロジェクトが始まってから、ちょうど40台目にあたるピアノをお届けしました。
現在6歳で幼稚園生のリオちゃんは、自宅にピアノがあった頃はまだとても小さくて、ほとんど弾いたことはないそうです。
でも、おばさんやいとこのお姉ちゃんがピアノを習っているので、興味津々。
これからピアノを弾けるようになりたいとのことでした。 震災前、リオちゃんのおうちは海のすぐそばにありました。
津波の警報を聞いて高台に避難する前、ひとりだけ家にいたおばあちゃんは、真っ先に犬を逃がしてあげたそうです。
そして、とにかくリオちゃんのおむつだけを持って自宅を離れました。
この家は津波で流されてしまい、ご一家はそれから3年間仮設住宅で暮らしました。
去年の12月に新居を構えたばかりです。 鍵盤に触れると色んな音が出ることがとても楽しいようで、リオちゃんはピアノが部屋に運び込まれてからずっとひとりでピアノに向かい、一本指で音を出すのに夢中になっていました。
このピアノも、今年の4月に宮城県在住のかたから譲って頂いたもので、調律師の名取さんが一度埼玉県の工房に持ち帰って修理をし、見事に美しい音色を奏でるよう復活しました。
「ご縁があって我が家に来てくれたこのピアノを、娘だけでなく、私も久しぶりにやってみたいです」とお母さん。
「なかなか習い事をさせる機会がなかったので、とても感謝しています」とお父さん。
おふたりが、こうして譲ってくださったかたへメッセージを寄せて下さいました。
西村は「ビタミン」と「ミッキーマウス・マーチ」を演奏しました。

ほんとうはリオちゃんのリクエストに応えて「妖怪ウォッチ」を弾きたかったのですが、西村はこの曲を途中までしか思い出せなくて断念。
リオちゃん、ごめんなさいね。
今度会うとき、リオちゃんにお手本を弾いてもらいたいです。
「ピアノ、楽しいからたくさん弾いてね」と言うと、「うん!」とリオちゃんは力強く返事をしてくれました。
その笑顔を見て、西村はとても幸せな気持ちになりました。

リオちゃんのお宅で、2011年の12月にグランドピアノをお届けした鈴木先生と再会することができました。
実は、リオちゃんのおばさんといとこのお姉ちゃんは、鈴木先生の生徒さんなのです。
現在鈴木先生の教室でたくさんの子どもたちが使っているピアノは、あるご夫婦から譲り受けたものです。
ピアノが大好きだった奥さまが不治の病に倒れ、もう弾くことができなくなってしまったので、「かわりに被災地の皆さんに、このピアノを愛して頂けたら」と、ご主人が譲ってくださったのです。
次の年、ご主人が友人と一緒に陸前高田を訪れることになったので、鈴木先生は生徒たちを集めてミニ発表会を開いたそうです。
「あのとき、ものすごく感動しました」と、ご主人はあれから何度も、そして今でも、鈴木先生に当時のお気持ちを伝えてくれるそうです。
亡くなった奥さまのお部屋をようやく整理することができて、心の整理もついたご主人は、鈴木先生に段ボール箱ふたつ分の楽譜を送ってくれたそうです。
その中には連弾用の楽譜もたくさん含まれていて、鈴木先生は今年それらの楽譜を使って、生徒さんによる「親子連弾」を実現させたそうです。
スマイルピアノが人と人の心をつなぎ、こんなに素敵な交流をもたらしていることを知って、西村は感激しました。お届けするたびに、こうして皆さんからたくさんの笑顔とエネルギーを頂きます。


最後は、グランドピアノをお届けする予定の大船渡中学校を訪問。
設置を予定している体育館の中を見せて頂き、ピアノを問題なく搬入できることを確認してきました。
いつか、ピアノのお届けとともに、ぜひコンサートをやりたいと思います。