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ピアノとピアノの音を被災地に。「Smile Piano 500」

活動の報告

2014.07.19

ピアノを届けに 〜宮城県山元町〜亘理町〜石巻〜

7月19日、宮城県内の3軒のご家庭にピアノをお届けしました。
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搬入の日はいつも天候に恵まれてきましたが、今回はこれまででいちばん奇跡的です。
神様が私たちの活動を応援しているように感じました。
車での移動中は雨が強く降って前が見えにくく、ノロノロ運転を余儀なくされることもありましたが、搬入のときだけは、どのピアノもまったく雨に降られなかったのです。
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最初にお届けした先は、山元町に住むご家族です。
津波でお父さんが亡くなり、ひとりで過ごす時間に寂しい思いをしがちな79歳のお母さんを心配した娘さんが、「スマイルピアノ500」にお手紙を下さいました。
小学校高学年から中学校を卒業するまでピアノを習っていた娘さんは、結婚してからは実家に戻ったときに弾くのが「ちょっと素敵な時間」だったそうです。
そのピアノも津波で流されてしまいました。
「ここは、いいところだ」がお父さんの口癖だったそうです。
高く生い茂る防潮林があったがゆえに海から近いという実感があまりなく、安心して暮らしていただけに、「悔やんでも悔やみきれない」とお母さんは話していました。
損壊した家を修繕し、お母さんは次女のご一家とともにご自宅に戻ることができたのですが、周辺は家が減って人通りも車の往来も少なくなっていました。
同居するご家族の皆さんが仕事や学校で留守にするあいだ、お母さんは失ったものの大きさをひしひしと感じてしまうのだそうです。
昔のように、この家にピアノの音色が響くようにしてあげたい、音のちからでお母さんを元気づけたい——。娘さんはそう思ったのです。
リビングに運び込まれたピアノを見て、お母さんは「夢のようです。まるで自分の娘が帰って来たみたい」と何度も言っていました。
お父さんが好きだった「日の丸の歌」を西村が弾き始めると、お父さんの遺影を胸に抱いてピアノのそばに座っていたお母さんが大きな声で歌ってくれました。
そして、歌いながら涙声になる娘さんをサポートするように、ご友人の皆さんも一緒に歌ってくれました。

「父はピアノを弾きながら歌っていたのですが、いつも同じところで音がはずれるので、みんなで笑ったものです」と、娘さんは思い出を聞かせてくれました。
「父はいつもニコニコ笑っていました。海が大好きだったから、今も海を憎んだりはしていないでしょう。だから私も泣いたりしないで、ニコニコ笑っていようと思います」
このあと、地元のラジオ局と新聞社の取材を受けました。
そのあいだ、ピアノの音がずっと聞こえていたのですが、弾いていたのは亡くなったお父さんの叔父さん(93歳)。
曲は「月がとっても青いから」でした。

ピアノ以外にもう1つ、皆さんが大喜びしてくださったことがあります。
壊れて使えなくなってしまった庭の井戸を、調律師の名取さんが直してくれたのです。
そのご経験の豊富さにはいつも驚かされますが、井戸まで直せるとは……。
「僕は田舎育ちですから、こういうことには慣れているんですよ」
名取さんはさらりとそう言ってトラックに乗り込むと、次のお宅へ向かって出発しました。

この日2台目のお届け先は亘理町です。
全壊したご自宅を建て直して仮設住宅から戻ったご家族に、ピアノをお届けしました。
かつてのピアノはお母さんがお嫁に来るときに持ってきた思い出の詰まったもので、現在中学2年生のお嬢さんがピアノを習い始めてからは親子二代で愛用していたそうです。
震災当時、お嬢さんは小学4年生でした。
津波は1メートル50センチに達していましたが、その時学校にいて先生と一緒に屋上へ避難して無事でした。
2つ年下の弟さん、おじいさんとおばあさんも学校へ避難し、その夜はそこで過ごしたので、仕事に出ていたお母さんとお父さんとは連絡がとれず、会えたのは翌日になってからのことでした。
震災前は今ほどピアノが好きではなかったというお嬢さんですが、失ってからはピアノが恋しくてたまらなくなったそうです。
家は仮設で学校は仮校舎という我慢を強いられる生活のなかで、ピアノ教室に再び通い始めるようになると、週に1度のレッスンが待ち遠しくなりました。
学習発表会で披露する合唱の伴奏を頼まれたときは、迷いながらも引き受けて、ピアノ教室や学校や楽器店のピアノを借りて練習したそうです。
「ピアノを弾いていると、落ち着いた」と当時の気持ちを振り返ってくれました。
その後、自宅でも練習できるようにと、お父さんが電子ピアノを買ってくれました。
でも、お嬢さんが奏でる音を聞くのが好きだったので、お父さんは寂しいと思っていたそうです。
「電子ピアノはヘッドフォンをして弾くから、僕には音が聞こえないんですよ」
リビングに運び込まれたスマイルピアノを見て、お父さんも嬉しそうでした。
これからは、お父さんにもピアノの音色を楽しんでいただけますね。
そしてお母さんは、「自分のピアノが帰ってきたみたい」と驚いていました。
かつて持っていたアップライトピアノと、かたちも大きさも、そして作られた年代まで、とても似通っているのだそうです。
お嬢さんは合唱曲「時の旅人」の伴奏パートを弾いてくれました。
途中から、西村が歌のパートを弾き、二人で連弾しました。そして西村は「ビタミン」を演奏しました。

堤防の位置が大幅に変わるため、ご自宅の前は道路が建設される予定です。
そのため、おじいさんとおばあさんの家は取り壊されることになり、すぐ近くの新たな土地に建て直すので、さらなる引っ越しが待っています。
「もうひとがんばりです」 静かな口調でしたが、おばあさんの言葉には強い響きがありました。


3台目は、石巻のご家族にお届けしました。
小学校の先生になるという夢に向かってがんばるマイちゃんが待っています。
今年4月から大学生になったマイちゃんは、毎朝5時30分に起きて片道2時間以上かけて通学しています。
電車がまだ開通していない区間があるので、そこはバスを使って移動し、再び電車に乗り換えて仙台まで行くとのこと。
毎日夕方遅くまで授業があって、時には眠気を感じることもあるけれど、興味があることを学んでいるので、苦にならないそうです。
小学1年生からピアノを習っていたマイちゃんは、中学校の卒業式があった日に被災し、大好きなピアノを津波に奪われてしまいました。
もとの家に住めなくなったマイちゃんのご一家は、高台に新築する家が建つまでお父さんとお母さんの実家を行き来する生活が長く続き、ピアノを持つことはできませんでした。
「教員を目指している娘に、家でまたピアノを弾かせてあげたい」。
そう思っていたお母さんは、ラジオで「スマイルピアノ500」のことを知ったそうです。
ピアノを積んだトラックが到着したのを見るなり、お母さんは嬉しくて泣き出してしまいました。
この日は親戚のかたがたが20人以上も集まって、ピアノの搬入と演奏を今か今かと待っていました。
ところがいざ運び込もうとすると、「ひょっとしたらピアノが入らないかも?」という事態に。
その場に居合わせた全員に緊張が走りました。
幸い男手がたくさんあったので、みんなでピアノを縦にしてみたり、引き戸を外してみたり……。ギリギリの幅を通ってリビングにピアノが運び込まれたときには、歓声が上がりました。

名取さんとスタッフがあの手この手でなんとかピアノを収めようとしている様子を見て、お母さんの目にはまた涙があふれてしまいました。
「まったく見ず知らずの私たちのために、ここまで一生懸命やっていただいて……。どうやってご恩をお返ししたらいいのでしょう」
その言葉を聞いて、名取さんはお母さんにこう言いました。
「娘さんが小学校の先生になったら、次の世代につないであげてください」

さて、いよいよスマイルピアノの弾き初めです。
マイちゃんが「貴婦人の乗馬」を弾いてくれました。
途中から西村も加わって、楽しく連弾しました。

これからはマイちゃんの夢の実現に、スマイルピアノが寄り添います。家でたくさん練習してくださいね。
そう遠くない将来、小学校の教室でマイちゃんのピアノに合わせて子どもたちが歌う日が来ると思うと、わくわくします。
ピアノを譲ってくださったかたからマイちゃんへ、そして未来を担う子どもたちへ——。1台のピアノが、こうしていくつもの尊い絆を紡いでいくのですね。
このことを忘れずに、私たちはこれからも活動を続けていきます。