Yukie Nishimura Official Website

ピアノとピアノの音を被災地に。「Smile Piano 500」

活動の報告

2023.03.21

ピアノを届けに 〜岩手県山田町

今年の3月21日に、2020年2月以来3年ぶりとなる、63台目のピアノをお届けしてきました。

東日本大震災から10年以上が経ち、ここ数年は「スマイルピアノ500」にもピアノが欲しいとの連絡がほとんどありませんでした。いろんな団体や多くの方々の支援により、震災で失われたピアノのほとんどは戻ってきているのではと感じています。そんな中、岩手県山田町の方から「スマイルピアノ500」に1通のメールが届きました。「震災でピアノが焼失し、私も息子もピアノを習い続けることができませんでした。震災直前の1月に発表会で連弾をしたのが最後でした。もう一度ピアノに触れてみたいです。」という内容でした。

 

山田町は、震災直後に学校コンサートで訪れた街。そして「スマイルピアノ500」として1番最初にピアノをお届けしたのも山田町でした。東京から600キロ、まだ道路や信号が寸断される中、仮設にお住まいということで電子ピアノを運んだのが2011年の9月でした。

あれから約11年、今回お届けした3月21日はWBCの準決勝、最終回に逆転サヨナラ勝ちをしたあの日本vs.メキシコの試合当日。スマホで試合経過を確認しながら、大谷選手ゆかりの地、花巻からレンタカーを走らせ、山田町に向かいました。

この日も絶好のお届け日和で、汗ばむくらいの陽気でした。

震災直後は一関にしかホテルがなかったので、いくつもの峠を越えて訪れる山田町はとても遠いイメージでしたが、復興道路が整備された今では、花巻から向かうとあっという間でした。

三陸鉄道の陸中山田駅の近くで昼食をとり、侍ジャパンのサヨナラ勝ちで意気揚々とお宅に伺うと、休日とあってご家族全員が笑顔で出迎えてくれ、ピアノが届くまでの間、震災当時のことやピアノとの関わりを話して下さいました。

奥さんは、3歳の時に買ってもらったピアノを結婚してからもずっと弾いていたそうです。生まれも育ちも山田町、ご主人の実家は宮古のため頼れる親戚もなく、震災から4ヶ月間、山田南小学校の避難所にいたそうです。由紀江さんも6月30日に山田南小学校でコンサートを行っており、運動場に仮設があったのを覚えています。もしかしたら、同じ時期に同じ場所にいたかもしれません。7月に避難所から別の仮設住宅に移動、数年後に再び別の仮設に移動、3年前から今の家で生活しているそうです。

「ピアノが届いたら、元の生活にちょっと戻ることができるような気がします」と話しているとピアノを乗せたトラックが到着しました。設置する部屋にトラックを横付けし、サッシを外してピアノを搬入。今回お届けしたピアノはアップライトにしてはかなり大型でしっかりとした作り。運搬業者さんも「小型のグランドピアノよりはるかに重い」と言っていました。ピアノの脚が独立しており、搬入時に持つことができたので、重たいにもかかわらず運搬はスムーズでした。


「こういう形のピアノは珍しいですね」と奥さんに話すと、「そうですよね。でも、私のピアノもなんと全く同じ形でした。家に運び込んでくれる時に、業者さんが足の部分を持つのでピアノが壊れないか心配でした。」と、3歳当時のことなのによく覚えていらっしゃることからも、ピアノが大好きなのが伺い知れます。そして無事にピアノが部屋に設置されると、「嬉しいね、すごいね」と言ってピアノのキーカバーをクンクンと匂われました。

「この匂いをかぐのが好きなんです」と、恥ずかしそうにしながらも楽しそう。ピアノが初めて届いた子供の心に戻ったのでしょうか。

1音1音確かめるように鍵盤を押すと、焼失したピアノと形や大きさだけでなく、音色までもがほとんど一緒という奇跡のような巡り合わせに大感激されていました。

それでも少し照れておられ、弾き初めは西村さんにお願いします。ということで由紀江さんが「微笑みの鐘」を演奏しました。

続いて、息子さんと連弾したというジブリの「さんぽ〜君をのせて」、最後はWBCテーマ、ジャーニーの「セパレイト・ウェイズ」を演奏すると拍手が起こりました。

最後にピアノを譲って頂いた方に電話を繋ぎお礼を伝えさせてもらいました。

 

奥さんには夢があります。来年の春に行われるピアノのオーディションに合格し、盛岡マリオスで開催されるパイプオルガンのコンサートに出演することです。早速このピアノで毎日練習します!と目を輝かせているお母さんの様子を、傍であたたかく見守る息子さんの笑顔も輝いていました。

帰りも復興道路であっという間に花巻に到着。すると新花巻駅で大谷選手のコーナーを発見。翌日行われる決勝戦の勝利を祈願して記念撮影をしました。