Yukie Nishimura Official Website

ピアノとピアノの音を被災地に。「Smile Piano 500」

活動の報告

2020.02.22

ピアノを届けに 〜岩手県陸前高田市

2月22日に、62台目のピアノを届けてきました。

お届け先は、陸前高田市の金野さんのお宅。
ご家族は、金野さん、奥さま、3人の娘さんの5人です。

金野さんは、震災当時、一関の中学校に勤めていたため無事でしたが、津波に家が流され、ご両親とお姉さんは亡くなってしまったそうです。

震災後も、一関での勤務を続けていた金野さんでしたが、「このまま内陸に居てはいけないのではないか」と思うようになり、故郷に戻らねばとの気持ちが強くなります。
学校長に話したところ、今戻っても勤務できる状況ではないと説明を受け、まず沿岸の中でも北の地域の田野畑村に行き、様子を見てから陸前高田に戻ることになりました。
結局、田野畑村には5年勤務。2018年3月には新居が完成。
2019年4月から大船渡第一中学校での勤務が決まり、新居で暮らすこととなります。

その新居に、ピアノを届けてきました。
ピアノを届ける日の天気予報は荒れ模様だったんですが、お届けの瞬間は雨が上がってくれました。
ピアノを運搬してくれたスタッフからは、「お天気が心配でしたが、ホッとしました」と笑顔がこぼれます。

トラックから家の中へ、ピアノの椅子が運ばれてくると、3人の娘さんが競うように椅子の奪い合い、真ん中の女の子が勢い余ってひっくり返ってしまいます。
でも椅子から落ちても泣きません。強い子だなぁと思いました!

金野さんのピアノの思い出は、物心がついたころ。
3つ上のお姉さんがピアノを習っていたので日常にピアノの音色がありました。
当時、ご両親が車を買うかピアノを買うか迷った結果、ピアノにしたそうです。
お姉さんは中学校に入る前に部活との両立が難しくなり止めてしまいましたが、金野さんは高校の途中まで少しずつ弾いていました。

高校の先生だった金野さんのお父さんは、野球部の監督や部長もつとめていて、甲子園の出場も果たしたそうです。
短歌を詠むことも好きで、平泉町の西行祭短歌大会(中尊寺)に応募。
作品をポストに投函したのは、震災の2日前(3月9日)でした。

お母さんは、金野さんが小学校まで、パンなどを販売するお店を営んでいて、小学生の頃、友人が学校帰りにお店に立ち寄ると、「母さんとよく似ているなぁ」と冷やかされたそうです。
2009年には大船渡リアスホールの柿落としコンサート「第九を歌う会」に参加。
60歳になったのをきっかけに、挑戦してみたいと思いドイツ語を猛特訓!見事に歌い切ったそうです。(テレビ岩手の番組でもインタビューを受けていました)

実は金野さん、震災2週間前に結納、3/26に大船渡で挙式の予定でした。
式の準備などで、いつも以上に陸前高田に戻る機会が多く、家族皆が楽しみにしてくれていました。
ご両親の遺影は結納の時のものだそうです。
延期になっていた結婚式は、2015年の9月にキャピタルホテル1000で挙げました。
複雑な思いでしたが、多くの親戚が集まってくれて長い間連絡が途切れていた従兄弟会とも逢えたので、結婚式をやってよかったと思ったそうです。

いよいよピアノが家の中に運び込まれると、お姉ちゃんが弾きぞめをしてくれる予定でしたが、
真ん中の女の子が積極的にピアノに向かいます。
でも、先にお姉ちゃんに譲ろうと話しあい、まずは、お姉ちゃんが「クラリネットをこわしちゃった」を演奏。
次に、真ん中の女の子が金野さんと「メリーさんのひつじ」を連弾。
演奏が終わり、金野さんはピアノを離れますが、その女の子がソロで「第九」を弾き続けるというフェイント!本当に、ピアノの演奏を楽しんでいるのが伝わってきました。

今度は金野さんが、西村の「手紙」を演奏。
「手紙」には思い出があるそうで、一関の中学校に勤めている時に吹奏楽部2年生の女子生徒さんが「好きな曲なんです」と言いながら、「手紙」を上手に弾いてくれたそうです。
素敵な曲だと思い、金野さんは CD(ベスト・オブ・ベスト)と楽譜を購入。
この日も楽譜を持ってきて演奏してくれました。
はじめだけと言いながら、 Aメロ、 Bメロ、そして間奏まで。
とても上手で柔らかい音色でした。
西村もお返しに「手紙」を演奏。最後に「微笑みの鐘」も演奏しました。

今回、ピアノを譲ってくださったのは、テレビ岩手の報道制作局長で、アナウンサーの柴柳二郎さん。
「スマイルピアノ500」の活動を何度か取材をしてくださったご縁で、お声を掛けていただきました。
そして、ピアノをお届けした金野さんは、2015年11月に八神純子さんと一緒にグランドピアノをお届けした大船渡中学校の当時の校長先生、金賢治さんのご紹介でした。
金野さんは金さんの教え子だったということで繋いでいただきました。

取材を通じて知り合った柴柳さんとのご縁。
金さんとのご縁が金野さんへとつながり、「スマイルピアノ500」の活動が、また、広がりました。