Yukie Nishimura Official Website

ピアノとピアノの音を被災地に。「Smile Piano 500」

活動の報告

2013.04.29

ピアノと音を届けに 〜宮城県石巻〜気仙沼〜

冬の間は雪のため、お届けができず、春を待ちこがれていた西村。
2013年最初となる今回は、二日間かけて8カ所を廻りました。

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初日に訪れたのは、今回で4度目となる宮城県の石巻。

 

1件目は、ピアノ発表会で、親子で連弾するほどの音楽大好き一家。
しかし震災で、家もピアノも流されてしまいました。

今年中学生になったという娘さんは、去年学校コンサートで訪れた湊小学校の卒業生。
幼少の頃は、西村の「よみきかせ絵本」で育ったそうです。

現在は高台にお住まいということで、1年ぶりの再会を目指し、どんどん坂道を上って行きます。
しかし、アップライトピアノ4台(およそ1トン)を積んだトラックは、途中でタイヤがスリップし立ち往生。
やむなくそこからは手で運ぶことに。
近所の女の子達も手伝ってくれ、なんとか無事搬入。
集まった女の子達の微笑みに包まれながら、西村が「微笑みの鐘」を演奏しました。
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すると、その女の子達が突然立ち上がり、「今日はピアノを届けてくれたありがとうございました。」と言って、合唱団に早変わり。
娘さんのピアノと、女の子達の合唱で美しいハーモニーを奏でてくれました。
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その後、女の子のおばあちゃんが営む「ピアノのある喫茶店」にみんなで移動しました。
被災したお家のお隣に位置するこのお店は、なんとか流されずにすんだそうです。
木のぬくもりが温かい素敵なお店ですが、水に浸かったピアノは調律師さんもお手上げの状態だそうです。
それでも愛着があり手放せないという大切なピアノを、西村も弾かせて頂きました。
確かに、ところどころ弦が痛んでいましたが、響きは力強く、生命力に満ちていました。
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外に出ると、復興を祈願したモニュメントの龍が、力強く泳いでいました。
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3件目は、ピアノを買って半年も経たないうちに津波に襲われたというお宅。
3人のお子様がいて、みんなピアノが大好きです。
岡本真夜さんのラジオ番組「SEVEN Spirits」に西村がゲスト出演した時の放送を聞いて、ピアノが欲しいと連絡を下さいました。
伺うと、震災直後の写真を並べ、当時の様子を事細やかに話して下さいました。
一ヶ月以上、水も電気もない生活が続いたが、命が助かっただけありがたいと、振り返ります。
ピアノの搬入が終わると、女の子が演奏してくれました。
普段練習しているという電子ピアノとのタッチの違いをかみしめるように、鍵盤に指を運びます。
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続いて4件目は、女川付近で被災し、家もピアノも流されてしまったというお宅。
以前、「スマイルピアノ500」にピアノを譲って下さると連絡をくれた方から、ご紹介頂きました。
伺うと、小学校5年生の女の子と、小学校2年生の男の子、そして保育園に通う男の子の3人が、元気に出迎えてくれました。
50年前のチリ地震の際も津波を経験したというおじいさんが、いろいろとお話しして下さいました。
海岸から1キロ離れたところでも、ビルの3階まで水に浸かったという今回の津波。
チリ地震の時に大丈夫だったという経験を持つ内陸の方が、たくさん逃げ遅れてしまったそうです。
ピアノが運び込まれると、3人の子供が駆け寄ってきてピアノの前から離れません。
「あの〜、私も弾いてもいいですか〜(笑)」
そう言って演奏を始める西村を、くいいるように見つめる孫たち。
その姿を、おじいさんが微笑ましく見つめていました。
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本日最後に訪れたのは、石巻にあるライブハウス「N’s SQUARE」。
ここは、去年訪れた万石浦小学校のピアノをメンテしてくださった調律師の方がオーナーなのです。
震災で崩れかかった倉庫を買い付け、ほとんど自分の手で修復し、ライブハウスに作り上げたそうです。
建材から設備機器にいたるまでの8割以上が、応援する方々からのいただきもの。
皆の熱意と愛情に包まれたその空間では、ピアノも優しい音色を奏でます。
「チャリティーではなくちゃんと自立し、興行として成り立つコンサートを行う。全国から石巻に足を運んでもらうのが目的です。」と熱く語るオーナー。
「今度ここを訪れるときは、私のコンサートで。」西村も熱い思いを胸に、石巻を後にしました。
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N’s SQUARE↓
http://www.ns-square.com/

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二日目に訪れるのは、宮城県の気仙沼。
まずは、3件のお届けに備え体力作り。
ということで、「復興屋台村 気仙沼横丁」へ。
ほたてなどの海産物がたっぷり入ったお好み焼き風の名物「はまらん焼」を、おいしく頂きました。
「はまらん」とは気仙沼の方言で「みんなまざって仲間になりましょう」という意味。
ちょうど、隣の席にいた地元のおじさんが、私達にビールを一緒に飲もうと誘って下さいました。まさに「はまらん」です。
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一件目に訪れるのは、津波で打上げられたままの漁船「第18共徳丸」から数百メートルのところ。
全長約60メートルという巨大な船は、「震災の象徴」として残していたそうですが、「もう見たくない」という被災者の心理的負担を取り除くべく、現在、解体に向け話がすすんでいるそうです。
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小雨が降る中、坂を上ってたどり着いたお宅は、かなりの高台に位置するのですが、それでも胸くらいまで水に浸かったそうです。
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出迎えてくれたのは、中学1年生の女の子。
今まで使っていたピアノが大好きで、水に浸かって鳴らなくなっても手放す事ができないそうです。
届いたピアノを遠目で見ながら「新しいピアノなんて…。」 そうつぶやきながら、おそるおそる鍵盤に指を置く。
すると、ポロン。 「ちゃんと鳴るじゃん。」
一気に笑顔がこぼれ、もう新しいピアノから離れません。
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話し合いの結果、古いピアノも捨てずに置いておくことになりました。
外に出ると、先程まで降っていた雨はやみ、青空が広がる中、咲き誇る桜の横で鯉のぼりが泳いでいました。
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続いて2件目は、小学校6年生の女の子が待つお宅です。
「ようこそ、遠くからお越しいただき、本当にありがとうございます。」
お母さんと女の子が笑顔で西村を迎えてくれました。
お届けしたピアノで女の子が演奏を始めると、お母さんはずっと下を向いていました。
実は、失ったのは家やピアノだけではないそうです。
お母さんの気持ちを察したのか、妹さんがお母さんに駆け寄り、横にちょこんと座りました。
その様子を見て胸がいっぱいになった西村。
心を込めて演奏しました。
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最後は、9才の男の子と7才と5才の女の子が待つお宅へ。
男の子がピアノを習い始めて間もなく被災、家は1階の天井まで水に浸かったそうです。
震災後は2階でずっと生活されていたそうですが、電気の復旧まで50日、水道の復旧まで3ヶ月かかり、大工さんも人手不足ということで、家の修復が始まったのは、年が明けてからだったそうです。
伺うと、お母さんが務める幼稚園の先生や、近所の子供たちが集まっていました。
お届けしたピアノでプチ発表会がスタート。
みんなの注目をあび、少し照れくさそうな男の子が弾きぞめ。
続いて西村が演奏すると、子供たちは嬉しそうに身体を動かしていました。
最後は、サイン会やお絵描き大会で大盛り上がり。
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こうして、二日間にわたる全行程を終え、桜満開の東北を後にしました。
今回も、ピアノを譲って下さった方、募金して下さった方、そのほか運搬、調律して下さった方など、多くの方のご協力、心から感謝申し上げます。

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